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更新日:2022年9月13日

3人娘の子育て、コンビニ店員、家族介護。常にパワフルに走り続ける、50代女性の新たな挑戦

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芹澤 令子さん (55歳)

2022年4月~ 初任者研修短期コース/新宿校
2022年6月~有料老人ホーム

母から受け取った介護士というバトン

29年間パート勤務をしながら、長年在宅介護と両立してきた芹澤さんは、とてもパワフルな方でした!最後に実母を看取って、介護職の人々に大いに助けてもらったことが有難く思い出され、「これからは私が介護する側に!」とバトンを受け取って新たな道を進み始めました。

この記事を監修した介護福祉士:藤井寿和
藤井寿和

パート勤務しながら17年間、義父の在宅介護

3人の娘の子育て、17年間の家族介護生活、29年間のパート勤務。長きにわたる時間をこれらのことに費やしてきたのが、今回取材を申し込んだ芹澤さんだ。彼女は言う。「結婚して今日までの34年間を語ったら本が1冊書けますよ!」と。そしてその本1冊分の経験や想いと、長年の在宅介護を支えてくれたヘルパーや看護師の感謝の気持ちを胸に、介護業界という新たな1ページ目をめくった。

芹澤さん21歳で嫁いだ芹澤家は田舎の元農家で、夫の両親とも同居でした。三女が幼稚園に入るまでは専業主婦をしていましたが、私の実家の父が亡くなったこともあり母を経済的に助けたいと思ったんです。

結婚前は経理事務のOLをしていた芹澤さん。「人と関わるのは苦手」と思っていたものの、夜9時から深夜1時までの夜のファミレスで働き始めた。

芹澤さん働き始めたのは「母を助けたい」という一心でした。ファミレスを選んだのは資格がなくてもできる仕事だったこと、あとは「苦手をなくそう」という思いもあって飛び込みましたね。最初は声も出ませんでしたが徐々に慣れてきて。職場で一緒に働く人生の先輩にいろいろな話を聞いて、「人はどんなところでも働けるな」と思うようになりました。

ファミレスでのパートは6年続いたが、その間に義母が亡くなり、芹澤さんは30歳で一家の「女主人」になった。家事の負担はさらに大きくなったが、2002年には次女の中学受験もサポートする。そして、これを機に職場をコンビニに変えた。

芹澤さん私学の学費も必要だったので、もっと稼ぎたいと思いコンビニで働くことにしました。もともとコンビニの仕事自体に興味がありましたが、ちょうとオープニングスタッフを募集していて、優先的に好きな時間帯に入れるというメリットもあったので。バーコード入力や品出しをするぐらいかと思ったら、接客はもちろん、オーナーと一緒に新店舗の出店も手伝ってきました。

ところがある日、義父が脳出血で倒れた。「在宅介護でがんばってみる!」と決め、デイサービスとショートステイを利用しながら17年間におよぶ在宅介護を行った。介護をしながらコンビニの仕事も続け、トータル20年間勤務した。

芹澤さん義父は口はしっかりしていたので、「男性職員は嫌だ」などいろいろな注文をしていましたが、その都度デイサービスやショートステイの介護士の皆さんは対応してくれました。介護士の皆さんは私を助けてくれる素晴らしい存在でした。

実母の最期のメッセージが背中を押してくれた

再び、芹澤さんに大きな転機が訪れたのは2021年の夏の初め。実の母親が脳腫瘍を患い、長くても半年という余命宣告を受けた。

芹澤さんコロナ禍の入院だと思うように面会できないので、自分の母でもありますし、在宅で介護することに決めました。結局10か月の在宅介護でしたが、後半は完全に身体が動かなくなってしまいました。最後の1か月の看取りが特に大変だったのですが、助けてくれたヘルパーと看護師の存在には感謝しかありません。本当にありがたかったです。

亡くなった母親は55歳でヘルパー2級の資格を取って、70歳まで訪問ヘルパーとして働いた。その頑張り屋の母親が最期に芹澤さんに残した言葉がある。「(家族をずっと介護してきた)あなたは、介護職に向いているんじゃない?」

芹澤さん義父や実母の介護経験から、介護職に興味はありましたが、自信は持てていなかったんです。でも母のその最期のメッセージが背中を押してくれて、介護の世界に入ることを決めました。

奇しくも、母親がヘルパー2級を取った年齢と同じ年齢に差し掛かったタイミングだった。介護の道に進むことを決めた芹澤さんは、「まず先に勉強したい。ちゃんと学んでから就職する」と決めていた。

芹澤さん家で介護をしていたと言っても「にわか介護」でしたから。母がお世話になったヘルパーさんにいくつか学校を紹介もしてもらいましたが、仕事を辞めていたので収入がなく、「学費をどうしよう……」と。そんなときにネットで調べていて、カイゴジョブアカデミーの特待生制度を見つけました。「学費が無料になる!」と知り、決めました。

受講してみて感じたことがある。

芹澤さん身内を介護することがないとしても、介護のことはみんな知るべきだと思いました。普通に生活していると健常者ばかりに見えますが、実際町中にはデイサービスや介護関係の車両も多く走っていますし、車椅子、片麻痺の方々もいらっしゃいます。そういった方々の存在にも無関心ではいけないと強く思いました。

スクール担当者の勧めもあり、受講と同時に就職活動を始めた。職場選択のポイントは、主婦ならではの悩みどころ、「扶養の範囲内」か「正社員で扶養から抜けるか」か。

芹澤さんいろいろ条件を聞くうちに「正社員でしっかり働こう」と思うようになって、民間の有料老人ホームに就職しました。「仕事の重み」を感じています。学校の実習は生徒同士でしたけど、実際の利用者は要介護の方ですから実習のようにはいかないこともあり、結構難しいです。

家族の介護を長年担ってきた経験はもちろん役立っただろうと想像できるが、意外なことを先輩から指摘されたという。

芹澤さん 「芹澤さんの介護は、利用者に近過ぎますよ」と注意されました。介護の基本は自立支援なのに、長年の身内の介護経験から接し方や距離が近く、何でもやってあげてしまう癖がついていたんです。最近は少しずつ距離を保てるようになっています。 いまはトレーニング中でトレーナーが陰から私の動きを見守ってくれています。「最近、無駄な動きが少なくなって、力が抜けてきたね」と褒められ、少し自信がついてきました。

「私、走り続けるのが好きみたいです」。今度は支える側で!

長年、パート勤務をしてきた芹澤さんだが、いまの仕事に活かされていると感じるのはコンビニの接客の仕事だという。  

芹澤さん勤めていたコンビニには高齢者がよく来られていました。高齢者とのコミュニケーションで意識していたことは、私が高身長なので、目線を下げて話すことですね。お店では、お客様に「フレンドリーサービスはあなたが一番だ」「あなたがこれをすすめるなら買うわ」などと頼っていただいていました。本部から感謝状をもらったこともあります。コンビニを辞めるときには、「辞めないで」「資格取ったなら、私を看てね」と惜しんでもらえました。

老人ホームで高齢者を支える側の立場になり利用者の家族と関わるようになって、見えてきたこともある。

芹澤さんいま、「あの時、父に接してくれた人たちと同じ立場になった」とひしひしと感じています。ご利用者さんやそのご家族に「ありがとう」と言われるときの感謝の言葉がとても重く、心の深いところまで響くんです。それはご利用者のご家族のみなさんが思うよりも踏み込んで介護をしているし、関わっているからこそ実感できているなと思います。

芹澤さんの3人の娘は、それぞれ資格を取得している。三女は中学のときから福祉を目指し、いまは介護福祉士としてサ高住で働いている。家族の仲の良さは取材中のお話からも垣間見える。

芹澤さん今までは「家族を介護しながらパートをしている気楽な主婦」に見えていたかもしれませんが、今は拘束時間も長いので家族も家事を手伝ってくれます。私よりも前から介護の仕事をしている三女は私の先生。「今日はこんなこと学んだよ」と報告したり、「介護あるある」で盛り上がったりしています。

娘さんが介護士になったのは、家族の介護に勤しむお母さんを見ていた影響も少なくないのだろう。 とにかくパワーあふれる芹澤さん。休む間もないように見えるが、元気の源は何だろう。

芹澤さん私、走り続けるのが好きみたいです。長女の不登校、父の介護、次女の中学受験、実母の看取り……ずっと走り続けていて、周囲からも「すごいパワーだ」と言われます。私は丙午の生まれですが、ずっと目の前にニンジンをぶら下げられて走ってるみたいです(笑)。走り続けるエンジンというか、ストレス発散はエンタメですね。ジャニーズやお気に入りのタレントの追っかけとか。主人の父をショートステイに預けて韓国にも行きましたよ。自分で何とか精神のバランスを保てていましたが、それも介護の支援を利用させてもらったからです。

これから走り続けるのは介護の道。「母の最期のメッセージがなかったら介護の世界に入らなかったかもしれない」という芹澤さんの次の挑戦は実務者研修だ。

芹澤さん日々接する高齢者の方は、私がまだ新人だとわかっていると思います。このままステップアップして、「この人なら大丈夫!」と思われる介護スタッフになりたいと思っています。

構成、執筆:谷口のりこ


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この記事の監修者

藤井寿和


1978年 静岡県西伊豆生まれ。
18歳~24歳まで陸上自衛隊の救急隊員(衛生科)を経験し、 三宅島噴火に伴う災害派遣をきっかけに介護の仕事に転身。
医療法人で在宅医療に特化した介護を学び、介護施設の介護職員、生活相談員、管理者、事業部統括マネージャーに就任した後に、株式会社にて超都心型デイサービスの管理者を経験後、36歳で独立。
2015年に合同会社福祉クリエーションジャパンを設立。
介護福祉士現場コンサルタント、商品開発アドバイザー、講師業を経て、2017年、テレビ朝日の“スーパーJ チャンネル”にて自身への特集、密着取材が全国放映された経験から、介護業界の情報発信とスポットライトが当たる重要性に気づき、自主メディアの制作を志す。
介護専門誌のフリーペーパー発行人、編集長を歴任し、2021年9月にメディア事業へ注力する株式会社そーかいを設立し、代表取締役に就任、現在に至る。

・一般社団法人 日本アクティブコミュニティ協会 公認講師
・合同会社福祉クリエーションジャパン 代表
・株式会社そーかい 代表取締役
・ものがたりジャーナル 編集長
・NPO 16歳の仕事塾 社会人講師
・映画「ぬくもりの内側」プロモーションディレクター