54歳で国家公務員を早期退職し、介護業界に転職!セカンドキャリアは感謝される喜びがモチベーションに
初任者研修から踏み出した一歩
「みんなの介護転職ストーリー」、今回の主役は藤井紀裕さんです。大阪府在住の藤井さんは、30年勤めた国家公務員を早期退職し初任者研修を取得、介護業界に挑戦しました。安定した国家公務員だった藤井さんにとって、介護の魅力はどこにあるのか、お話を伺いました。
2023年3月 グループホームに就職
2023年5月~9月 介護職員初任者研修/梅田校
記事の監修者:藤井寿和(介護福祉士)
人の役に立っていると実感できる介護の仕事
―介護業界に転職する前はどのような仕事をしていたか、教えてください。
―公務員を退職後、どういう流れで介護業界に転職したのですか?
藤井さん:
リフレッシュしたかったので、しばらくは特に何もせず過ごしていました。しばらくして自宅の近くで仕事を探し、牛丼チェーン店でバイトを始めました。しかし、思いのほか深夜のシフトが身体にこたえて、次の仕事を探していたら目についたのが介護の求人でした。
公務員でも牛丼屋でも、それほど人に感謝される仕事ではなかったので、次は「人の役に立っている」と実感できる仕事をやってみたいと思ったんです。さっそくカイゴジョブアカデミーに登録して、キャリアアドバイザーに紹介してもらったグループホームで働いています。
毎日汗だくでの仕事も、休日にきちんとリフレッシュ
―グループホームでのお仕事とは、どんなお仕事なんですか?
藤井さん: 食事介助、口腔ケア、調理、洗濯、排泄介助など、利用者さんの身の周りのお世話全般です。介護は大変だと聞いていましたが、やってみると思った以上に重労働でした。毎日汗だくで仕事しています。人の命や安全に関わる仕事なので、先輩スタッフから厳しく指導されることもあり、冷や汗をかくこともあります。前職はデスクワーク中心だったのに対し、介護は立ち仕事。体力的にしんどいと感じることもありましたが、休日にきちんとリフレッシュして頑張っています。
―前職の公務員と介護業界とでは、待遇面で違いがあると思いますがどうですか?
藤井さん: 給与面での不満はなく、十分頂いていると思います。早期退職とはいえ定年したつもりなので、第二の人生ではないですが、今の仕事ではたくさん稼ごうという気持ちはないんですよね。勤務シフトについては、もう少し年休や有給休暇がもらえたり、休みの希望が通ったりするといいなと感じることはありますが、介護業界自体が土日祝日関係ない仕事なので、仕方ないかなと思っています。利用者さん相手の仕事ですから、週末も誰かが出勤しないといけませんしね。
十人十色の関わり方があることがやりがいに
―介護の仕事をする中で、大変なことや、利用者さんとの関わりで印象的な出来事を教えてください。
藤井さん:
介護というと、一般的には排泄介助などもあって大変だと言われていますが、ある程度覚悟してこの業界に入ったので、抵抗感はまったくないですし、清潔にしてあげたいと思います。それでスッキリしてもらえたら嬉しいですよね。
消灯時間に認知症の利用者さんに挨拶したとき、利用者さんからも「おやすみなさい」と手を振って返事をもらえるとほっこりしますね。
―介護のやりがいはどんなことだと感じますか?
藤井さん: 利用者さんそれぞれの状態に応じて、関わり方を変えないといけないところでしょうか。利用者さんの中には、こちらの関わりに対してまったく反応がなく、キョロキョロと落ち着かない人もいます。そういうときはこちらが焦ったらダメで、介護士の一員としてちゃんと観察したり注意したりしないといけないなと思います。利用者さんの行動が気になるときは、ご家族が来られたときにコミュニケーションを取ってもらうとか、関わり方にも工夫をします。
丁寧かつ、効率よくスピーディーに、コミュニケーションは自然体で
―介護の仕事をやる中で、困っていることや苦手なこと、ご自分の課題があれば教えてください。
藤井さん:
ひとつの仕事をこなすのに時間がかかってしまうのが課題です。たとえば、利用者さんの入浴や食事介助。まだまだ慣れなくて、利用者さんの衣服を前後反対に着せてしまったり、うまく袖に通せなかったりします。「丁寧にやらないといけない」と思うからか、焦りも感じて、同僚よりも時間がかかってしまうんです。
介護の現場に出てみてつくづく感じるんですが、この仕事は丁寧さだけではダメですよね。マンパワーは限られていて、業務も山積みなので、丁寧でありながらも、効率よくスピーディーにこなさないといけない。私はそこが苦手で、他のスタッフに負担をかけていると感じるので、業務を手早くこなせるようになるのが自分の課題です。
―まだ仕事を始めて間もないので時間がかかってしまうのは仕方がないとは思いますが、そういった課題をどのように解決してますか?
藤井さん: 技術的に未熟な部分は同僚に質問して、その都度解決するようにしています。同僚も私のことを気にかけてくれて、「わからないことあったら聞いてね」と声をかけてくれます。迷ったときなど勝手に判断して進めないように言われているので、どういう点を相談して、どういう点は自己判断していいか、少しずつ学んでいるところです。
―介護業界は比較的女性が多く、年齢もさまざまですが、性別や年齢の垣根を感じることはありますか?
藤井さん:
そうですね、介護の職場はたしかに女性が大多数を占めてますよね。同じ職場にいる男性は私を含め3名です。前職は男性の多い職場だったので、今の職場は雰囲気がずいぶん違います。雑談などのコミュニケーションで職場の人間関係が形成されているところは、女性の職場ならではだと思います。
そういった女性の職場特有の雰囲気に「まだ慣れないな」と感じることもありますが、こちらもあまり気を使い過ぎず、自然体でコミュニケーションを取っていこうと心がけています。
スタッフの年代が違うとジェネレーションギャップを感じることがありますが、それはお互い様かもしれませんし、それほど気にしていません。
―介護の仕事を今後も続けていきたいですか?
藤井さん: このグループホームという職場で、とてもいい経験をさせていただいてるので、できれば続けていきたいですね。実際に介護の仕事をやってみると、やはり人が相手ですし、ハードルの高い業界に飛び込んじゃったなとプレッシャーを感じることもありますが、感謝されたりやりがいを感じたりしたときは格別な気持ちになります。これからも利用者さんの健康、命を守りながら、思いやりの心を持って仕事を続けていきたいです。
インタビューを終えて
終身雇用が過去のものになりつつある現代では、早期退職する人も多くなってきた印象があります。藤井さんは国家公務員を早期退職されました。正直なところ「公務員」という待遇のよい仕事を辞めて、「もったいないと思わなかったのかな」と思いましたが、藤井さんからは後悔の念は感じられませんでした。これまでの業務では事務的な作業が多かったとのこと。介護に転職してから人と関わる機会が増え、充実した毎日を過ごせているようです。中高年の方が転職を考える際には、これまでと違った分野の仕事、つまり介護業界を選んでみると、人生のやりがいを得られるかもしれません。
構成、執筆:秦 佐起代
「みんなの介護転職ストーリー」でご紹介している方々は、無資格・未経験から介護業界に挑戦したカイゴジョブアカデミーの卒業生です。皆さんが活用された「特待生キャンペーン」なら、自己負担なしで「介護職員初任者研修」の資格を取得でき、さらに介護職専門のキャリアアドバイザーによる就職先の紹介も受けられます。資格が1つあるだけで、給与や待遇がアップし、就職・転職時にも大変有利です。下記リンクからそれぞれ詳しく説明していますので、ぜひ参考にしてみてください。
>>自己負担なしで介護職員初任者研修を取得できる!「特待生キャンペーン」についてもっと見る
>>介護の最初の資格といえばコレ!「介護職員初任者研修」についてもっと見る
この記事の監修者
藤井寿和(ふじい ひさかず)
1978年 静岡県西伊豆生まれ。
18歳~24歳まで陸上自衛隊の救急隊員(衛生科)を経験し、
三宅島噴火に伴う災害派遣をきっかけに介護の仕事に転身。
医療法人で在宅医療に特化した介護を学び、介護施設の介護職員、生活相談員、管理者、事業部統括マネージャーに就任した後に、株式会社にて超都心型デイサービスの管理者を経験後、36歳で独立。
2015年に合同会社福祉クリエーションジャパンを設立。
介護福祉士現場コンサルタント、商品開発アドバイザー、講師業を経て、2017年、テレビ朝日の“スーパーJ チャンネル”にて自身への特集、密着取材が全国放映された経験から、介護業界の情報発信とスポットライトが当たる重要性に気づき、自主メディアの制作を志す。
介護専門誌のフリーペーパー発行人、編集長を歴任し、2021年9月にメディア事業へ注力する株式会社そーかいを設立し、代表取締役に就任、現在に至る。
・一般社団法人 日本アクティブコミュニティ協会 公認講師
・合同会社福祉クリエーションジャパン 代表
・株式会社そーかい 代表取締役
・ものがたりジャーナル 編集長
・NPO 16歳の仕事塾 社会人講師
・映画「ぬくもりの内側」プロモーションディレクター
藤井さん: 大学を卒業後、国土交通省(当時は運輸省)の事務職として役所に勤めていました。公務員を選んだ一番の理由は、収入の安定です。母親がすでに他界していたので、早く自立して父親を安心させたい気持ちが強かったんです。
40代くらいから漠然と「このままこの仕事を続けていいのかな」と、違和感を抱くようになりました。54歳で異動の打診があったとき、「公務員になって30年、もう十分働いたな」と感じ、今後は地元で過ごしたいと思って早期退職を決めました。