30年間測量士としてキャリアを積み、「人のためにできること」を模索。悔いのないよう生きるため、人生で一番難しい仕事に挑戦中!
初任者研修・実務者研修と続けて取得し、さらなるスキルアップへ!
「みんなの介護転職ストーリー」、今回の主役は三野宮裕さんです。測量士として30年間勤務され、定年直前の59歳で退職して、介護の世界に入られました。「自分に悔いを残してはいけない」という思いに従って、初任者研修そして実務者研修まで取得した三野宮さんの「60代以降の人生」の考え方は、50代、60代の方には大いに参考になるのではないでしょうか。
2022年夏頃 実務者研修/名古屋校
2023年1月 知的障がい者通所施設 就職
記事の監修者:藤井寿和(介護福祉士)
「親の介護をできなかった」という悔いが残っていた
藤井:30年間勤務されていた測量士というのは、具体的にどんなお仕事だったのですか?
藤井:なかなか神経を使うお仕事ですね。その道一筋で勤務してこられて、定年の一年前に辞められた理由は何ですか?
三野宮さん: 前々から「いつか60歳ぐらいになったら、早めに退職してもいいな」と思っていました。多くの部下を育て、ある程度の財も残し、「やりきった感」はあります。業界そのものの仕事量が減ったこともあります。何かのきっかけというよりいろいろな思いが重なって辞めました。違う世界に行くのなら少しでも早い方がいいですしね。
藤井:その違う世界というのは、最初から「介護」をお考えだったのですか?
三野宮さん: 実は、両親の介護が必要な時に仕事が忙しくてまったく手伝えなかったことが、ずっと心に残っていました。ちょうどバブル期で朝から晩まで仕事に追われていましたが、本当はもっとやってあげたかった……。その後悔もあって、60歳近くになったら介護の仕事に就いて、少しでも人の役に立てればと思っていました。それで20年ぐらい前に、初任者研修(旧ヘルパー2級)を取ったんです。ずっと〝味噌漬け〟にしていましたけど(笑)
藤井:そうだったのですね。退職した後はどうされていたのですか?
三野宮さん: 収入ゼロでは生活できなくなってしまうので、会社を作って、前の仕事の下請けをしていました。途中で介護職として就職し、前職が落ち着いたところで、介護職一本に絞りました。このときは特養(特別養護老人ホーム)で、そこで1年間働きました。
藤井:そこはご自分で就職活動をして見つけた職場ですよね。そこを辞めたのはどうしてですか?
三野宮さん: 夜勤が週に1、2回あって、体力的に大変でした。若ければできたかもしれないけど、やはり年齢的にこたえますね。介護そのものが嫌になったわけではないので、介護をやるにしても日勤帯で働きたいと思いました。
藤井:カイゴジョブアカデミーに申し込まれたのは、そのタイミングですか?
三野宮さん: そうです。ネットでカイゴジョブアカデミーを見つけて、「資格を取るための通学をしながら転職活動もできる」と知りました。早速申し込み、キャリアアドバイザーの方に知的障がい者のための通所施設を紹介してもらって、「どうしようかな」と迷いましたが、奥さんの「そういう仕事もいいんじゃない?」という推しもあって決めました。奥さんは若い時から発達障がい児のための通所施設に勤めていますので。
これまでで一番難しい仕事に挑戦中!
藤井:カイゴジョブアカデミーで受講された実務者研修受講中のエピソードはありますか?
三野宮さん: クラスメイトはほとんどが若い人で、自分と同年代の人は数人ほど。男性は私ともう一人の男の子だけでした。実務者研修なので現役のヘルパーさんが多く、いろいろ教えてもらいながら一緒に受講できたのが良かったです。
藤井:受講してみて、今の仕事に役立っていると思う場面はありますか?
三野宮さん: 歩けない方の手を引いてトイレに誘導したり、食堂に連れて行ったり、一緒に動くコツなど役立っています。心理面での授業も勉強になりました。
藤井:実務者研修の授業では知的障がい者に関する項目は少ないと思いますが、社内の研修はありますか?
三野宮さん: 結構やっていますね。自分でも関連する本を読んでいます。大学の先生が書かれている専門書や学生向けの本、一般書まで。一人ひとり特性が違いますから、勉強はずっと続けています。
藤井:特養での経験は、今の知的障がい者通所施設でどんなふうに活かされていますか?
三野宮さん: 特養でも利用者さんに信頼されないといろいろなことが上手くいかないので、1対1の人間関係に気を遣ってきましたが、それは活かされています。ただ、今の施設ではさらに人間関係を深めないと難しいかなと思っています。今の利用者さんは言葉をほとんど発しないものですから、何を言いたいのか感じ取る必要があります。
藤井:言葉によるコミュニケーションが難しいとなると、どのようにコミュニケーションを取るのですか?
三野宮さん: 言葉でコミュニケーションを取れない人には「選択」してもらいます。例えば、服を着たいという要求に対して、3種類の服を用意して選んでもらうとか。何がしたいかを描いた絵やパネルを見せて、それを選んでもらうような工夫をしたりとか……。それもなかなか応じてくれない人もいますけどね。
藤井:特養とは違った苦労がありますね。
三野宮さん: 身体的なつらさはほぼなくなりましたが、知的障がい者施設は未知の世界に入ったようでした。奥さんがそういう仕事をしているから話には聞いていましたが、実際に関わっていくとコミュニケーションを取れないのはかなり大変なことでした。
藤井:測量士時代の仕事とはかなり内容が違いますよね。
三野宮さん: まったく違う仕事だなと感じています。前職は人とあまり接しない仕事。自分一人で宅訪し、一人で調べて一人で作成して、成果品を役所に説明する。1から10まで自分一人。今の仕事は1対1でお話をしながら人間関係を深めていかなければいけないわけです。大人の方と付き合っていますけど、子供の頃からいじめられたりして心を閉ざす人が多いので、いかに心を開いてもらうか考えます。しかも一人ではなく、50人ぐらいいるので大変です。今まで自分が経験したなかで一番難しい仕事ですね。でも、この仕事をさせてもらって本当に良かったです。自分の成長にもつながるし、誰かが幸せに生きていける手助けになっていればと思います。
やりたいことを実現できる「資格」の力
藤井:三野宮さんにとって、「誰かのために役立つ」というのはご自身の中で大切なテーマであるように感じます。
三野宮さん: そうですね。若いときから、「人のためにやってあげたい」という気持ちは強かったですね。移転補償の仕事も、「移転したくない人を移転させるのだから、先祖代々の土地や財産をその人が納得するように評価してあげたい」という気持ちでやってきました。私が介護職になる前、測量士時代に東日本大震災があったのですが、宮城県が移転補償をできる人材を募集していたので会社を辞めて1年ほど現地で活動しました。
藤井:え! 会社を辞めて行かれたのですか? そこまでの思いはどこから出ているのでしょうか?
三野宮さん: 被災者はすべてを失っていますから、移転の保証金もできるだけ早く準備してあげる必要があります。だから、移転補償の資格をもっている人材が必要なわけです。僕は阪神・淡路大震災のときにお手伝いに行きたかったけど行けなかった。その悔いを残したくなくて応募しました。親の介護ができなかった悔いを残したくなくて、介護の世界に入ったのと同じです。
藤井:これからの人生は、悔いを残さないように生きていきたい。そんな三野宮さんの強い思いを感じます。
三野宮さん: はい、その実現の鍵になるのが「資格」じゃないでしょうか。例えば、被災地の人を移転補償の面から助けたくても、資格がなければ宮城県に採用されることもありませんでした。悔いを残さないために介護の仕事をしたくても、初任者研修や実務者研修の資格がなければ、できる仕事が制限されます。今の時代、資格をもつのは大切なことだと思います。どんな仕事もやる限りはしっかり勉強して、資格をとって、プロとして見合うようになっていかなくては!
藤井:定年を迎える同世代の方に、伝えたいことはありますか?
三野宮さん: ずっと言ってきた「悔いのないように生きること」と「勇気」ですかね。ずっとやってきた仕事を辞めるのは「勇気」がいります。うちは子どももいないこともあり、奥さんに相談したら「やりたいようにやればいい」と言ってくれました。でも、子どもが有無に関わらず将来年金が下がることは目に見えていますし、いろいろ考えると結局不安がなくなることなんてありません。だからこそ、「勇気」をもって行動することが重要ですね。
藤井:最後に、これからの目標を聞かせてください。
三野宮さん: まずは介護福祉士の取得ですね。3年で受験資格が取れるので、いまの仕事を続けながら挑戦していくつもりです。その先の社会福祉士も目指したいですね。通信教育でも取れるので、とにかく勉強はしておこうと思っています。福祉の仕事は非常に難しいです。特養にしても今の仕事にしても簡単ではありません。一人一人の特性も違うので、何回も何回も勉強しながら「何をすれば一番良いのか」を常に考える必要があります。勉強することが、自分にとっても利用者さんにとってもプラスになるだろうと思っています。
インタビューを終えて
60歳が目前になり、定年も間近になると、「このままでいいのだろうか」「自分の人生でやり残したことはないだろうか」と頭をよぎることもあるかもしれません。三野宮さんのように、「親の介護が十分にできなかったから、これからは介護職を」という方も少なくないと想像します。そんな思いをカタチに変えるのが、「介護の資格」です。カイゴジョブアカデミーでは、「働きながら資格を取る」「特待生制度を活用する」など、自分では知り得なかった「その人に合った介護職への道」をアドバイスしてもらえます。「年齢的に体力に自信がない」という50代、60代の方も、その人に合った介護施設をプロのキャリアアドバイザーに紹介してもらえば、無理のない働き方が叶うのではないでしょうか。
構成、執筆:谷口のりこ
「みんなの介護転職ストーリー」でご紹介している方々は、無資格・未経験から介護業界に挑戦したカイゴジョブアカデミーの卒業生です。皆さんが活用された「特待生キャンペーン」なら、自己負担なしで「介護職員初任者研修」の資格を取得でき、さらに介護職専門のキャリアアドバイザーによる就職先の紹介も受けられます。資格が1つあるだけで、給与や待遇がアップし、就職・転職時にも大変有利です。下記リンクからそれぞれ詳しく説明していますので、ぜひ参考にしてみてください。
>>自己負担なしで介護職員初任者研修を取得できる!「特待生キャンペーン」についてもっと見る
>>介護の最初の資格といえばコレ!「介護職員初任者研修」についてもっと見る
この記事の監修者
藤井寿和(ふじい ひさかず)
1978年 静岡県西伊豆生まれ。
18歳~24歳まで陸上自衛隊の救急隊員(衛生科)を経験し、
三宅島噴火に伴う災害派遣をきっかけに介護の仕事に転身。
医療法人で在宅医療に特化した介護を学び、介護施設の介護職員、生活相談員、管理者、事業部統括マネージャーに就任した後に、株式会社にて超都心型デイサービスの管理者を経験後、36歳で独立。
2015年に合同会社福祉クリエーションジャパンを設立。
介護福祉士現場コンサルタント、商品開発アドバイザー、講師業を経て、2017年、テレビ朝日の“スーパーJ チャンネル”にて自身への特集、密着取材が全国放映された経験から、介護業界の情報発信とスポットライトが当たる重要性に気づき、自主メディアの制作を志す。
介護専門誌のフリーペーパー発行人、編集長を歴任し、2021年9月にメディア事業へ注力する株式会社そーかいを設立し、代表取締役に就任、現在に至る。
・一般社団法人 日本アクティブコミュニティ協会 公認講師
・合同会社福祉クリエーションジャパン 代表
・株式会社そーかい 代表取締役
・ものがたりジャーナル 編集長
・NPO 16歳の仕事塾 社会人講師
・映画「ぬくもりの内側」プロモーションディレクター
三野宮さん: 公共事業のために住居を移転してもらう方の「移転補償」をしていました。例えば、道路を作るのに自宅を移転していただく場合、お宅に伺ってその財産を調査して、保証金を算定する仕事です。公共の理由のために移転してもらうわけですから、その方が納得できる保証額を算定する責任があります。